かえるぴょこぴょこ CINEMATIC ODYSSEY
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『何も変えてはならない』 Ne change rien
2010年 08月 11日 |
まなざしは私のもの。

ポルトガルの鬼才ペドロ・コスタが女優ジャンヌ・バリバールの音楽活動の軌跡をおう。



「ジョニー・ギター」からオッフェンバックの「ペリコール」まで

原題の「NE CHANGE RIEN」は、ジャン=リュック・ゴダール『映画史』からの引用であり、ゴダールはこの言葉を、ロベール・ブレッソンの「シネマトグラフ覚書」から引用しているのだそう。ブレッソンと同様に職業俳優を用いないペドロ・コスタが選んだその言葉、ハッとさせられるタイトルの意味と意図、そこにある信念のことをとりとめなく考えてしまう。

そもそも作りものであるはずの映画にたびたびリアリティを求め、この世界の真実を見出そうとする私たち。映画は作家の意思によって脚色、演出されているからこそ魅力あるものとなっているはずなのである。それなのに幾度となく、作り手の過剰な、或いは空回りした虚飾に辟易させられることもある。虚飾を排するという試みに興味をもって惹かれずにはいられないのだ。

少なくともドキュメンタリーというジャンルはそうでなくてはならないはずだ。劇場上映の妨害活動でも大きな話題となった『ザ・コーヴ』のことなどを持ち出さずにはいられず、ありのままの客観的事実を映し出すべきジャンルにおいて、真実をねじ曲げて伝えることの愚かしさを思う。どんなに公平さを心がけたところで、作り手の主観は入ってしまうものであるとは思いながらも、真なるものを映したいという志がそこに貫かれていることが大切なのだ。

そうであっても、作り手がどれほどに自然でニュートラルな姿勢で対象を見つめようとも、観客の私たちはおそらくそのままの状態で受け止めることなんてできない。批評家でもない私たちはそれでよいのだと思う。この映画単体のみに向きあうことはできなくて、誰かが書き留めてくれたコスタの言葉を反芻し、西麻布でのライヴの感銘も蘇り、トークショーでジャンヌ・バリバール本人が真摯に語ってくれた、ペドロ・コスタとの出会いについてを思い出して、その瞬間にフィルムから放たれる映像と音楽を噛みしめるのだった。

ジャンヌの歌が本質的にはお上手とはいえないことを承知の上で、だからこそ、それでもきらめきがそこに生まれることに感動せずにはいられないんだよね。音楽ドキュメンタリーとしては実にシンプルである分、私たちも映し出されている歌い手ジャンヌそのものをフィルターなしに見つめることができる。多くの場面を取り込もうとして小刻みなカットを繋げてしまう多くのそのジャンルのシロモノとは違い、コスタらしくじっくり長回しでジャンヌの姿を捉えるカメラによって、ジャンヌ・バリバールその人の音楽への取り組みをじっくりと見つめる私がいる。

ペドロ・コスタのまなざしがクールなのかやわらかなのかも確信が持てず、その目線を直接的に意識させられることもほとんどなかった。それでいてカメラのポジションの面白さや完璧さに心とらわれずにはいられなくて、その構図のカッコよさにしばしば魅了される。モノクローム映像の味わいが出色。描かれているものがシンプルであるほどに、黒と白のコントラスト、光と影の美しさが際立っているのだ。音楽ドキュメンタリーを見ているはずなのに、フィリップ・ガレルのフィルムに耽溺する時のような感覚にとらわれてしまったよ。恋人たちの物語のような甘美さに包まれた。

何も変えていないはずの映画で、何度も矛盾した事態に遭遇し、結局私は私の受け止め方をするしかないの。ペドロ・コスタの映画への取り組みに興味はつきないし、ジャンヌ・バリバールという女性の飾らないカッコよさに再び惚れ直し。この二人が出会ったことがただとても素敵で、それを映像作品にしようという試みが実現されたことが粋で、そのフィルムが静かにそこにきらめいていることが素晴らしいということ。
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by CaeRu_noix | 2010-08-11 11:59 | CINEMAレヴュー | Trackback | Comments(0)
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