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『この空の花 長岡花火物語』(大林宣彦)
2012年 06月 06日 |
日本人必見!




故郷の広島は尾道で多くの映画を撮り続けてきた大林宣彦監督が新潟県長岡市を舞台に物語を綴ってくれた。それが田舎の風景や住民の姿をおさめた生温かいご当地映画などではなく、とても情熱的に普遍的なメッセージが込められた、何とも風変わりな味わいに圧倒される一作であった。何だこれは!と驚きながら、心はしっかりと捕われた。「まだ戦争には間に合う」という言葉に頷きたい。

高校生の頃に長岡の花火を一度見に行ったことがある。長岡は高校生でも出かけられる距離にあった。長岡という地名にはその昔大いに馴染みがあり、そこにほど近い地域で生まれ育ちながら、1945年8月1日の長岡空襲のことは知らないも同然だったことに情けなくなった。話に聞いたことはあったのかもしれないけれど、記憶には残っておらず、東京空襲のように、単なる言葉としてもインプットされてはいなかった。知らなかったことに愕然としつつ、だからこそ興味深く引き込まれていった。

夜空を彩る美しき花火は今も昔も大好きだと単純に思っていた私は、爆弾を思い起こさせるから花火を怖いと感じた空襲体験者がいることにもハッとさせられた。普通の人々が暮らす場所に空から爆弾を落とすことが真っ当な行為になってしまう戦争というもののおぞましさを反芻する。腹立たしくて仕方ないのだが、過去は変えられず、それはもう同じ事を起こさないという方向に向かうしかない。そしてそのために、私たちが歴史をもっときちんと受け止めなくちゃならないということを、この映画を浴びながら本気で実感するのだ。「世界中の爆弾を花火に変え」たいよ、本当に。

登場する者たちはカメラに向かって語りかけたりもする。風変わりな演出なんだけど、スクリーンの中の彼らの物語を観客席から外側から観ているという状態から、決して外側じゃなく、私と松雪さんたちは同じ世界にいるんだということをつきつけられ、まっすぐな彼女たちの目線に答えようと思うのだ。用語に対しテロップのような字幕が入るという試みも実に面白い。そしてしっかりとその用語が説明される。例えば、「ナパーム」だとか、自分は言葉そのものは知ってるつもりでいても、具体的にどういったものかを認識せずにアバウトに捉えていたことが次々と浮き彫りになった。歴史と向き合うにあたって、一つ一つをきちんと把握することの真摯な姿勢に唸る。

駆け足で歴史をなぞるそのスタイルはドキュメンタリーのようであった。同時にそれはたびたび演劇的でもあった。ドキュメンタリー風であっても、実在の人物を役者が演じていて、舞台演劇のようにめいっぱい感情を込めて言葉が投げかけらる。ドキュメンタリーのようで演劇のようで、それでまさに劇映画でしかできないことをやっている。映画内演劇のシーンは独特の味わいがあって素晴らしかった。本来のステージでは舞台装置として実演するのは難しいことを映像では加工できる。舞台では大胆に使うことができないであろう「火」というものが何とも恐ろしいものであり、それが美しい花にもなりえることを映像表現を通してかみしめる。映像として映える一輪車の動きも印象深い。

長岡映画といいながらも、長岡空襲と花火の物語にはとどまらず、そのドラマはあまりにも壮大に多くの出来事が織り込まれてうねっていく。160分というのはかなり長尺の映画だけど、それでもそこにおさめるには無謀なほどに多くの事柄が物語の一片をなす。真珠湾、長岡、長崎、広島。普通なら取捨されたであろうことが盛り込まれて、それは一見、作品としてはスマートではないかもしれないけれど、全ては連なり繋がっているし、その歴史の連なり・繋がりを丸ごと受け止めようということなのだ。多くを盛り込みすぎだということを恐れずに、戦争に間に合わせることがまず大事なのだ。映画の力強さと濃厚さに圧倒されながら、その思いに心は打ち震えた。これは凄いよ。


(2012/5/12 PSC=TMエンタテインメント) @有楽町スバル座

allcinema
「長岡映画」製作委員会
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